ジェンダーフリーとは

呼びかけの理由は本文(特に後半)や「「ジェンダーフリー」でgoogle検索をかけたらアレな結果になる件について」を読んでください。


【簡単目次】

※目次に載っていない項目もあるよ。


1.【基本編】ジェンダーフリー・男女共同参画ってなんだろう?

Q.「ジェンダーフリー」ってなんですか?

A.ジェンダーフリーとは、簡単に要約すると「社会的性別(ジェンダー)の押し付けから自由(フリー)になる」というような意味の言葉で、和製英語的に使われています。ジェンダー・バイアス・フリー(あるいはフリー・フロム・ジェンダー・バイアス)と呼んだほうが正しいようです。ジェンダーフリーは、社会的・文化的性差に対する偏見や制度的障壁から自由になることを意味するので、他人や社会制度に無理やり「男だから○○しなきゃいけない」「女だから××しなきゃいけない」といった固定的な性差関係・社会的性役割を押し付けられないですむようにしましょう、という言葉。人としてリスペクトっ、てことですかね。

※「性別不問」ってニュアンスで使っている人が結構多いですが、それはそれで間違ってはいないと思われ。


Q.じゃ、最近よく耳にする「男女共同参画社会」ってなんですか?

A.男女共同参画社会とは、男女が同等の権利を持ち、共同で豊かな関係を建設できる社会のこと。雇用・教育・家庭などの不平等をなくし、より豊かな関係を築こうとするものです。男女平等を一歩進めるものではありますが、社会が成熟したことに伴う産業、経済からの要請という面もあります。


Q.男女共同参画が、女性の雇用問題を是正するのはどうして?

A.今は、女性は出産のために会社を辞めたりしなくてはならず、傾向的には「M字型」と言われるように、出産して子どもが大きくなってから40代になってパートなどの形で働き出すケースがほとんど。先進国で比べるとこの傾向は日本に特に顕著です。そうなると「子どもを産みたいけど現状では産めない」という人だって増えるし、産後に復帰しても賃金平均は男性の半分くらいにしかならないし、結婚した女性と独身女性の年金などの格差も大きく出てくることもある。賃金が半分になるのは、男性が正社員で次第に賃金が増えるのに対し、女性は一度離れざるを得ない状況だからってのもあるけど、企業もせっかく育てた女性社員に離れられるのは痛いし、だからこそ「一般職/総合職」と分け、いつ離れてもいいような無難な職場に配置することも少なくない。これは、社会にも個人にもデメリットが多いのではないかなんて指摘されてる。雇用機会均等法も、あんまり機能していない「ザル法」って呼ばれてるしね。また、女性と男性の比率が大体同じである教職でも、校長などの要職に就いている女性は1割程度で、この比率は単に個人の能力の問題で済ませられるのかどうかは頻繁に議論されている。これらは、働く女性だったら、けっこう普段から感じている気がするし。

そういう現状があるから、現在ではまずは両立支援、格差是正を行おうとしているようです。もちろん差別や格差を是正し公正な鞘会を築くという意味だけでなく、育てた人材が離れなくなる、あるいは雇用体系の多様化ということで、企業側や経営者側にも労働力を確保出来るというメリットがあるみたい。また、「専業主婦とサラリーマン」という家族構成が70年代頃から徐々に減り、主要なライフコースではなくなった今、共働き夫婦が増えてきているという現状に合わせるという意味もある。既に「女は家事。男は仕事」って時代ではなくなってきつつあるけど、制度上はまだまだこれまでのモデルを前提としていたりするし、それが社会状況にあったシステムでないと破綻してしまうからね。これ、税制改革や年金改革の話が最近話題になる理由でもある。日本ではなぜか「男女共同参画は共産主義の仕業!」ってデマがあるけど(な、なんだってー!?)、むしろ資本主義の要請なんだよね。それは他の先進国が「女性進出&差別是正&少子高齢化&etc…」という点で共通している状況を見れば一目瞭然。

だから、単に 男女共同参画=ジェンダーフリー=フェミニズム、と理解するのは大きな誤解。特に男女共同参画は、むしろ経済における自由主義の立場から擁護している人などが支持している面が強いと思う。「≒」の部分が多々あっても、ラディカルなフェミニストはむしろ共同参画やジェンダーフリーを批判している(反対と批判は別なので注意)。それは例えば「今までは家事を女に押し付け、不況になったら今度は経済的に搾取するのか」とか「ジェンダーチェックなどで男らしさ・女らしさなどが分かるわけがない」とか、「仕事も家庭も、というライフスタイルこそが国家によって奨励されるモデルになるのか」いう意見で、それはそれでまっとうな批判だと思う。このあたりの議論は、ネオリベラリズムという概念について知っておくと、わかりやすいかも。


Q.産業化、社会が成熟した結果ということは、男女平等や価値観の多様化が進むのは日本だけの現象ではなく、他の先進国でも共通の現象なんだ?

A.そうみたい。「少子化と男女共同参画に関する社会環境の国際比較報告書」を見ると、日本以外の先進国(この図ではOECD加盟国で一人当たりのGDPが1万ドルを超える国)でも、近代化が進むと同時に女性の「社会進出」が進んでいることがわかります。さて、日本を見てみると、「ライフコース選択の自由度」「性別役割分担解消度」「転職の容易さ」「家族と過ごす時間重視度」は最下位。「人権意識の浸透度」「男子の育児への参加度」は韓国に次いで下から2番目。でもって「労働時間の長さ」は1位。男も女も大変だコレ。「社会進出」するのがエライってわけでは全然ないけど、現状にフィットした制度が一番だよね。この点、あとでまた触れます。


Q.じゃあ、ジェンダーフリーや男女共同参画は全く問題ないの?

A.そんなことはないと思う。どんな考え方でも、一切問題がない、疑わないというのはありえない。男女共同参画的な社会に変わっていくのは経済状況や文化的な状況からみて時代的必然だとは思うけど、具体的にどう変えていくかについてはしっかり議論が必要でしょう。女性が働くのが気に食わないからといってぶちまける「ちゃぶ台かえし」は言語道断だけど、同様にこれらを徹底しさえすればいいとか、「全員働け」「格差をゼロに!」というフレーズを唱えるだけでもダメ。この2つに共通しているのは、形式にこだわり中身に触れない、という点だと思う。

試しに、いくつか批判点をあげてみるよ。先ほど、「まずは両立支援」と書いたけど、労働時間が国際的にずば抜けて高く、中高年の自殺者が多い現状では、男性の働き方そのもの、企業経営方法そのものの見直しも必要になる。働くこと人を前面化するのではなく、働かない女性への対応、そして働かない男性への対応はどうするのか、育児をしたい男性はどうするのか、というのも含めて議論がされなくてはいけない。また、男女共同参画をあたかも少子化解決のためだけに有効なように言っている人もいるけれど、仮に先進国の現状に合わせるという意味で少子化の「歯止め」になったとしても、出生率が激増することは望めない。先進国同士の比較では両立がしやすい国ほど出生率が高いという傾向が指摘されているけど、少子化は産業化が進んだ先進国共通の特徴だから、政治をもってしても社会法則には逆らえず、「増やす」ことによる解決は期待が薄い。だったらむしろ、少子高齢化が続いていくことを前提にした適切なシステムに変える、という発想も必要になると思う。

もちろん政策などは段階的に行っていく必要があるから、両立というライフスタイルをまず支援するというのは現状では必要不可欠かもしれない。だけど最終目的は、産もうが産むまいが、働こうが働くまいが、制度上は何のサンクション(報償、懲罰)もない、どちらを選ぼうとしてもそこにバイアス(障壁、偏見)がないという状況にすることだと思うから、次にどうするのか、最初がそれでいいのか、最終的にはどのような保障モデルを構成しているのか、市場原理のみを優先されないかなどなど、「どういう優先順位でやっていくのか」「どういうモデルに誘導するのか」という議論は重要だし、意見交換していくべきだよね。男女共同参画の各論には、中の人もいくつか異論があるから(例えばメディアとの距離の取り方とか)、そういう議論の場を形成し、伝えていく必要があるよね。


Q性差の押し付けから自由になる…それって「性差」をなくすってこと?

A.よくある誤解だけど、ジェンダーフリーは、性差を全部なくすこと(ジェンダーレス)とは違います。ジェンダーフリーは、社会におけるジェンダーによる偏見やバイアスを減らしていこうというもの(参照)。 ジェンダーを全部なくすのではなく、バイアスや偏見をなくすためだからこそ、男性の育児休暇への配慮や男性の労働時間の縮減、女性の生理休暇や産休なども含まれるわけで。


Q.じゃ、「男らしさ・女らしさ」を否定しないのね?

A.うん。まぁ、個人が自己実現のために「らしさ」を目指すことは超OK! 人と違う「らしさ」を選んでも超OK! 色々あって超OK! で、制度の上ではどれを選んでもいいようにしよう。そういうこと。


Q.よーし、僕、男らしくなりたい! モテたいもん!

A.うん。無理しない程度にがんばれ。ところで「男らしさ」にも流行があるよね。高倉健、石原裕次郎、キムタク…今は誰かな。神木君…はまだ若いって!


Q.でも、涙が出ちゃう。だって、女の子だもん。

A.「僕女」だったのか! 男の子も泣くけど、コートの中では平気なの。


Q.男にスカート穿け、と言い出す?

A.穿くのは勝手だろうけど、強制的に穿かせるわけないでしょ。目的が「押し付けからの自由」ですから。あと、特に冬に穿くのは素人にはあまりオススメできない。


Q.七夕や端午の節句など、伝統行事を廃止するの?

A.廃止などしませんし、否定もしません。伝統文化の中には性差や性役割がしっかり含まれているものも多いですが、そこにジェンダーがあることは指摘したとしても、例えば男女共同参画局など「伝統行事を廃止します」と宣言したことがありましたか?「伝統ダメ」と押し付けることなどありえませんよ。いいじゃないですか、お祭り。おにぎりわっしょい。まあ、女が男に三つ指つくのが伝統だ! というレベルの制度は廃止するんじゃないかな。廃止するっていうか、やっぱ「自然に」そうなるだろうし。もちろん、本人がそう思うのは全然OK! 制度的にはそうじゃなく多様に対応していきましょうね、というお話。

※ブログにて、『最近話題の女人禁制で現地の人の信仰心を無視して登山を強行した人たちがいますが、ジェンダーフリーの観点からはどう考えているのでしょうか』というご質問を頂いたので、その時のレスを参照しつつ補足するよ。2005年11月、「ジェンダーフリー」に親和性の高い方々が数十人集い、女人禁制である大峰山(大峯山)に異議を申し立てつつ、その参加者のうちの数人が登山するという「事件」がありました。これ、2ちゃんねるの「ニュー速+」板他でちょっとした「祭」にもなったから、知っている方も多いはず(ログはほとんど保存しているので、ほしい方は声をかけてください)。

で、結論だけ言うと、この「事件」は色々な意味でまずいと思う。だって、もともとジェンダーフリーは、個人の多様な性(生)の選択を肯定し、共生するための理論・運動であるのだから、信仰・伝統としての性や生、それらを守る信念や自由をも肯定、包括するものでしょう。また、性によるバイアスに対する意識が実に多様であることを指摘するがゆえに、自らのバイアス観をも吟味しつつ、運動の意義と効果を見極めながら対話実践を行うもの。にもかかわらず、このような形では「やっぱり伝統・信仰などを破壊するんだね」「ワン・オブ・ゼムの思想を押し付けるんだね」「フェミうぜぇ」とか思われたでしょうし、そのような批判に値する事実として軽率さがあった。特に信仰の問題は、たとえ社会から見て不合理であったとしても、不合理性をのみ理由にして批判出来るものではないでしょう。どのような「意義」が込められていたとしても、その点「問題提起」としては大失敗でしょうし、むしろジェンダーフリーの視点からも批判が必要ではないかと思う。その他にもいくつかの批判点が個人的にはあるけど、とりあえず簡単に。 ※もうすこし知りたい人はこちら


Q.男女混合名簿はどうなんのさ? これもなくすの? 面倒だし、非効率的だよ。

A.私は学生の頃も、いろんな機会に実際に教壇に立ったときも混合名簿でしたけど、特に問題なかったなぁ。男女別名簿って効率的ってデータあるの? 不便に感じたことなかったし、大学とか普通に混合だから、別にいいんじゃないのかな。男女別名簿って、日本とインドだけらしいね。それが分かった1985年の国際婦人ナイロビ会議では、各国から「早く変えるべき」って意見が出されたとのこと。もちろん名簿変えたからといって差別がなくなるわけじゃないけど、だからといって変えても全然問題ない気がするし、わざわざ分けなくてもいいんじゃない? もちろん名簿を混ぜたら着替えも一緒、てことはありえないしね。

※ちなみに、混合名簿はジェンダーフリーとは別の文脈で進められていたもの。ジェンダーフリーへのバッシングでとばっちりをくらっている感がある。


2.【実践・誤解編】 ジェンダーフリーについてもう少し深く踏み込みつつ、 よくある勘違いについて触れていきます。

Q.働く女性は自己実現のために行ってるんだから、是正なんてしなくても自己責任でしょ。

A.子どもを産む女性の自己実現はアリで、働く女性の自己実現はアウト? それって結局「女は子どもを産め(女は子どもを産む道具)」って言ってることになるんじゃないかなぁ。それと、個人が子どもを生むのは「お国のため」でも「少子化解決のため」でもなく、一方でそれをたまたま「国的にOK」と優遇したい人がいるだけでしょ。働くのだって単にわがままじゃなくて、基本はご飯を食べるため。未だに「子どもを産まない女性はおかしい」というような発言しちゃう政治家がいるくらい変な固定観念が強いみたいだけど、あるライフスタイルだけ優遇するというのはまずいよ(これは推進派にもあてはまるよ)。

それとも関わる話なんだけど、原則的に自己実現/自己責任はセット。但し、それはフェアな競争ルールがある程度保障されていないと意味を持たない。つまり、自己実現可能な状態があって、ようやく自己責任がセットになる。例えば「機会の平等/結果の平等」という概念があるけど、これは実は全く正反対の概念ではない。基本は「機会平等」を実現することが目標だけど、人は生まれたときからさまざまな環境変数があって、機会の平等を整えることは難しい。人より 100メートル後ろから走らされてよーいどん。で、結果ビリでも自己実現のため走ったんだから自己責任でしょ、というのはちょっとひどい。だから、制度の面では、例えば保障などの形で「結果の平等」を取り入れつつ、少し調節する必要も場合によっては出てくる。

そこで、これはむしろ「形式的平等/実質的平等」の枠で捉えると分かりやすいと思う。実質的平等を求めるために、機会の平等と結果の平等をケース・バイ・ケースで導入していくということになるかな。ただ単に形式だけ平等にすると、むしろ格差が広がったりするし、時には弱者と強者が入れ替わるだけになることも。例えば「人頭税」(国民全員から一律で同じ額の税を徴収)とかが、形式的平等のわかりやすい例かな。結果だけを形式的に整えると、「せっかく努力したのに水泡に帰すのかよ」ってタイプの不公平感が出てくるし、明らかに体力差のある男女を同じリレーで走らせるなど、形式的な機会平等は実質的に大きなハンディキャップをもたらしてしまうことになるからね。このように、形式的に結果だけ調節することが、実質的平等に反することもあるし、逆もまたあるってこと。そういえば、「リレーで一緒にゴールイン」という都市伝説があったけど、あれはどっちだろ…?


Q.アファーマティブアクションって何?

A.働く男女の問題や雇用機会均等法などで話題にのぼるのが、「ポジティブ・アクション」「アファーマティブ・アクション」(積極的是正)という言葉。つまり、例えば今はバランスが偏っているので、女性(或いは男性、或いは諸条件に該当する人)を何割取りましょうと決めたりすること。これは、例えば女性が対象になった場合に、「男性が優秀な点をとっても人数設定で落とされる可能性があるから逆差別になる」という意見もある。逆も然り。

議論のためにあえて少し擁護すると、ポジティブアクションが<現時点では>必要かもしれないのは、過渡期でもある現在では短期的にたとえ逆差別でも、中・長期的に調節するためであるともいえる場合があるからなんだ。その状態は永遠に続けるわけじゃないし、逆差別を批判することが現状の差別肯定になってしまうのも問題がある。だから巨視的な視点を含めて、実質的平等をもたらせるような手段として適正か否かで議論する必要がある。それから、本当に逆差別になるのかという実態調査も含め。あと、「優秀な男が!」と主張する人には、「あなたはそれほど優秀な男性のつもりなのか」と聞きたい気持ちもあるけど、喧嘩売ってるみたいだからやめとこ(喧嘩キライ)。まあ今のは冗談だけど、こういう是正はどちらか一方を優遇することを目的としたものでなく、結果的に男女共に働きやすい状態にするための一手段として提案された部分がある。だから、賛成派、反対派に関わらず、そういう視野を含めた議論が望ましい。

あと、これは完全に余談だけど、「レディースデーは逆差別! どうしてフェミニストは抗議しないのか(プ」って意見(?)をよく見聞きするけど、これは誤解。理由はいくつかあるけどここでは簡単に2つだけ指摘するよ。一つ、これは女性の権利として求めたものではなく、企業が顧客獲得のために行っていること。企業が「差別化」によって顧客獲得をはかるのは当然だから。映画館ではシルバーデーとか子ども半額とか学生割引とかもあるけど、それも顧客獲得をはかるため。だから、ある種の差別ではあるけど、それを女性に対して怒るための道具にするのはお門違い。二つ。フェミニストの中にはレディースデーに反対している人もいます。フェミニストって言っても本当に色んな考え方があって、「フェミニズムというのはこういう考え方」で統一はできません。ちなみに「フェミニストといったら田島陽子」「フェミニスト=ぎゃーぎゃーうるさいオバハン」というイメージがあるけど、田島さんってフェミニストの中では特にスタンダードではないし、後者はちょっとどうかな。男性だっているし(←違!)。要するに、「フェミニスト」でひとくくりにするのは無理があるんだよって話(補足)。ん? 女性専用車両? 本件とはちょっと別問題だけど、一言でいうと「微妙」です。ブログでも触れたから、もしかしたら参考になるかもその1その2)。

※さらに分かりやすい解説は、「世界一単純なアファーマティブアクションの解説」をご覧ください。


Q.やかましい! 女は家にいろ!

A.もちつけ。


Q.いやだい! この国を、侍と大和撫子でいっぱいにするんだい!

A.夢は大きくてもいいと思う。でも、大人なんだから我慢しようね。よしよし。ところで、すごく個人的に疑問なんですが、「日本人はサムライの子孫!」とか「サムライの血が!」とかよく聞くけど、多分、ほとんどが農家の子孫だと思う。農家の人をリスペクトしましょう。


Q.男女同室で着替えたりするの? 混浴になったり、トイレが同じになるの? ハァハァ。

A.んなこたぁないです。ジェンダーレスとは違うってば。混浴を期待した人は残念だったかも。


Q.でもさ、男女同室で着替えた例があるって言ってる人もいるよ?

A.ジェンダーフリーによって同室着替えがなされるというのは完全にデマ。「性差別をなくすため、一緒の部屋で着替えましょう」とか言うわけないでしょう。むしろ逆。あたりまえだけど、これは「男女同室着替えがあるかないか」という問いとは別の問題だから注意してね。詳しくはこちらをどうぞ。

そういえば小学校の頃とか、同室で着替えるのが一般的だったりしたけど(今もそうかな?)、その時だって全員すっぽんぽんになってたわけじゃなく、服の下に水着はいておいたり、プールタオルで隠しながら着替えたっけ。でもやっぱ、更衣室や個室があったほうがいいよね。


Q.着替えだけじゃなくて、「ランドセルを黒に統一」「同室で身体検査」などという極端な事例があるって聞いたけど、どうなってんだゴルァ!?

A.鹿児島でそういう例がある! と騒がれたとき、地元の新聞「南日本新聞」が取材したところ、市の教育委員会や「そんな話は一切聞いたことがない。常識的に考えられない。あれば保護者から相当な抗議を受けるだろう」「まったく事実でない。ありえないし迷惑」と答えています。当該校の教頭も「男女一緒の更衣など奨励している学校があれば、こちらが教えて欲しい」と答えています。それまで「極端な事例が!」と騒いでいた人は、この記事を「でたらめ!」と仰りましたが、再度取材しても関係自治体や学校側は改めてそれを否定しました。「南日本新聞の記事」などをどうぞ。


Q.しかもフェミニストが男女同室着替えを進めているというウワサだがね。

A.どこのウワサじゃい。フェミニストなら普通に考えて更衣室を求めるでしょうに。文科省が「学校における男女の扱い等に関する調査」というものを行って、全国の同室着替えについて調べたけれど、そういった事例はひとつも出てこなかったよー。詳しくは「ジェンダーフリー=男女同室着替え説についてのまとめ」をどうぞ。


Q.えー。違うのかー。だったらバッシング側にまわるぜ! 同室着替えが羨ましい!

A.ちょwwwwwおまwwwww。


Q.ジェンダーフリーは共産主義者の陰謀だ!

A.なんでやねん。「平等」という言葉から連想したのかもしれないけど、例えば「日本経団連」の検索バーで「男女共同参画」や「ジェンダーフリー」で検索してみると、多くの企業が経済活性化の手段として用いようとしていることがわかる。先も紹介しましたが、先進国では女性の社会進出が良い悪いを別にして必然ですし、それが新たな効率化や活性化につながるという見方もある。雇用の機会均等が進めば、M字型雇用ではむしろせっかく育てた人材を逃がすことにもなるので男性を含めた育児休暇を取り入れることが長期的にはプラスと考える企業もありますし。だからこそ、むしろラディカルなフェミニストの方や「左派」の方から批判の声も聞こえたりするわけで。


Q.結局フェミニストって、左翼とかマルクス主義なんでしょ? 必死だな(プ

A.ちゃいまっせ。まずジェンダーフリーや男女共同参画=フェミニズムや共産主義というのは誤解であると上に書きました。そもそもフェミニズムは、新左翼やマルクス主義運動への批判から登場してきたという歴史的経緯があるし。例えば村上春樹『ノルウェーの森』に、平等を求めるとか言っておいて結局女性におにぎりをにぎらせる左翼運動家に対してあきれるみどりちゃんというキャラがいたけど、感覚としてはあんな感じじゃない?(マジで?)。まあ、左翼的でありかつフェミニスト、という方はいるだろうけど、左翼=フェミニズムというのはまったく別だよねえ。あと、マルクス主義フェミニズムというのもありますが、これは労働の観点や男女の経済的権力構造の分析から女性研究を行うからそういう名前なのであって、別に共産主義を目指しているわけではないです。あと、マルクス主義=共産主義、というのもちょっと誤解です。が、それはまた別のお話。


Q.男女共同参画局は性教育に関わってるの?

A.基本的に、性教育に関心のある方は文部科学省へどうぞ〜。

※もうちょっと詳述を、というご指摘をいただいたので補足。性教育は政府内では文部科学省が担当です。但し、男女共同参画基本計画は全省庁の男女共同参画施策をまとめたものなので、文部科学省主管の「性教育の充実」も記載されています(「男女共同参画基本計画」の表の右側に担当府省が記されているね)。ただ、基本計画を読んで頂ければわかりますが、ここではあくまで「児童生徒の発達段階に応じた」性教育について述べている。つまり、今批判されているようないわゆる「過激な性教育」は男女共同参画の趣旨とは違います(って、あたりまえだよなぁ…)。「こちら」にも、「基本計画は、児童生徒の発達段階に応じた性教育を重視しており、決して「過激な性教育」を容認するものではありません。「過激な性教育」が行われているとすれば、男女共同参画が目指すものとは全く異なります」と明記されています。やっぱり、発達段階(年齢など)に応じた適切な性教育が大事。何が適切なものであるかは、これまた別の議論が必要でしょうけど。それに、「行われているとすれば」とあるように、バッシングしている方の主張している「過激な性教育」の実態や内実も明らかでないのだから、丁寧に話し合っていきまっしょい。


Q.行き過ぎた性教育はジェンダーフリーの仕業!

A.まず、社会的性差(ジェンダー)を是正することと、ハウ・ツー・セックスを教えることは問題設定として別。ジェンダーフリーが大事だって言っている人が、性教育も大事だって言っている例は多くあり、「多様な性と生」ということで重なる部分も多いけど、別件だからわざわざ名前を分けて言っているわけで。批判側がジェンダーフリー論者のせいにしているのはよく聞くけど、実際にそういう教育がジェンダーフリーの名の下に行われていたのかを確認したという話は、これまで何度も調査が行われたにも関わらずまったく聞かない。 あと、これは別件だけど、「行きすぎ」のカウンターとして「純潔教育」(させない、性知識を一切教えない)は意味がないと思うなぁ。その議論は別のところでやることだけど。


Q.ジェンダーフリーはフリーセックスだ!

A.「フリー」しかあっておまへんがな。「多様な性」と言うと、「大人数でセックス」を連想するのはムッツリスケベのしわざ。でも、もちろんムッツリスケベでも超OK!


Q.「看護婦」とかが使えなくなった! 言葉狩りだ!

A.言葉の変更ってのは、「看護婦」って表現を使った人が逮捕されたり訴えられたり権力で規制されるわけではなくて、男性の看護士も増えてきたから必要なところは直しまっか、というだけの話だったりする。普段使う分には問題ないんじゃない? ところで自民党や東京都が「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」を使わないように通達したり、「ジェンダーフリー」という概念を使いそうだという理由で講演会を中止にさせたりする事件がありましたが、これはどっちだろう。


Q.ジェンダーフリーは「いきすぎた個人主義」を助長する!

A.近代国家成立の歴史を学んだ方はご存知でしょうが、「個人主義」は権力の肥大に対抗するものってニュアンスがまずあります。権力に対する個人ですね。で、個人主義は「個人を尊重する。であるがゆえに、自分と違う個人も尊重する」というものだから、ミーイズム(利己主義)とは違います。それと、「いきすぎた○○を認めるのか!?」という問いかけ方は同語反復で意味がないからやめましょう。なんでも行き《過ぎ》はよくないわけだから、「よくないものはよくない」となるだけでしょう。その前に、何が適度なのか根拠を元に検討したろうやないですか。


Q.ジェンダーフリーは多様な家族を認めてる。ということは、シングルマザーを増やそうとしている!

A.なんでやねん(笑)。「シングルマザーの保障をします」「そのような生き方も肯定します」とは言っていますが、そう言うとシングルマザーって増えるんでしょうか? 「保障があるのね! よーし、ママ、明日からシングルマザーになっちゃうぞー」って? あっはっは。


Q.生物学的性差はかえられないでしょ? 適材適所が一番。

A.適材適所はいいと思うけど、「男は営業、女はお茶汲み」って生物学的性差となんか関係あるんですかい? 「男は○○、女は○○」って分け方、それが適材適所なのか、ちょっと考え直してみませんか、って話なんですが。


Q.女が社会進出すると、伝統や道徳が壊れる!

A.ん? その場合の「道徳」って、「女性や若者がオレ様の言うことを聞くこと」「女性が社会進出をしないこと」とか? そう考えるのはもちろんOKだし、そういう考えを共有する友人や家族に囲まれるのもOKかもしれませんが、それを押し付けるのはダメだってば。それと、「道徳の崩壊」とやらを主張する論拠をせめて示してから議論しよう。女性が「社会進出」している国ほど無法国家だとかね(笑)。但し、バイアスがかかった個人的な体験談は居酒屋でやりましょう。

せっかくだからマジレスすると、近代化、産業化が進むと、消費の対象となる商品やアクセス可能なメディアも増え、人が働く理由も生きる目的も多様化します。かつては「ひとつの道徳を皆が共有すること」を前提にした時代がありましたが、現在では「あなたの道徳と僕の道徳は違う」ということが日常的に起こる。また、少子化・高齢化が進み、一方で女性の「社会進出」が起こる。これらは先進各国の様子をみれば共通して、産業化の結果として少子化、価値の多様化、女性の社会進出が起こっていることがわかる。そのような現状で、制度のために個人が動きにくくある現状、あるいは不当な差別が残っているような状態はまずいので、そのような変化を前提とした構造の改革が必要になる。価値観が多様化した状態では、「道徳」の持つ意味が変わるし、だからこそ、さまざまな道徳や価値観が共生できる場を構築しましょうと、そういうことです。一部の評論家の方や政治家の方は、ええかげんに、若者、女性、オタク、フィギア、インターネット、ホラービデオ、ポルノ、ゲームなど、ノリやフィーリングで自分のイライラをぶつけやすいところに向けるのはやめましょう。

さて、これは完全に余談なんだが、ポルノ規制に関しては「性の商品化」「女性への蔑視」という見方から反対するフェミニストもいれば、「女性の自己実現」「その仕事を選択せざるをえない者への対応を」「実害はないし、ガス抜きとして必要」と賛成するフェミニストもいる。このまとめサイトの中の人はフェミニストじゃないけど後者よりかな。特に同人誌は絶対に規制させないぞ!


Q.この世には男脳と女脳があってね。だから男女で分けるのも区別なんだよ。

A.ええと、「心脳問題」でググるといいと思う。脳が! 脳が! という前に、まずは脳について語るためのリテラシーを身につけましょう。少なくとも素人が「脳」と言うのは、トリビアか星占い感覚にとどめておいたほうがいいよ。特に『話を聞かない男、地図を読めない女』をベタに信じている人は中和するためにも是非。


Q. 先生! 全ての「区別」をなくそうとしている人がいます!

A. まず結論から。ジェンダーフリーとジェンダーレスが違うように、全ての区別をなくそうとしているというのは誤解。そもそも「全ての区別がいけない」という考え方はありえない。人は区別をしないと生きていけないし、どのように区別するのかということが文化や伝統などを作り上げているから全ての区別をなくせというのは全くありえない話。全ての区別をなくしたら全員がアッパラパーになるだけでしょう。そして、もちろんジェンダーフリーや男女共同参画はそんなものを目指していないし、誰かがそんなことを主張しているのを少なくともこのまとめページの中の人は聞いたことがない。批判側から「全ての区別をなくそうとしているアホがいる!」という批判はあっても、なかなかその批判対象(アホ)が見当たらない。だからもしそういう人をあなたが見つけたら、他でもないその人と議論すればいいと思う。「こういう人いるらしいよ」とか「こういう人、いそうじゃね?」みたいに、イメージだけで見えもしない相手と論争したってしょうがないし、そのことでデマが一人歩きしているみたいだから、ちょっとだけ立ち止まって欲しい。


Q.じゃあ、ジェンダーの議論で、時々「区別」自体も問題にされるのはなぜ?

A. ジェンダーなどが問題になるとき、時々「区別」そのものが問題視されることがある。この背景にある議論がちょっと難解なため、周りからは「区別そのものをなくそうとしている」というように見えちゃうことがある。それじゃ確かに過激思想だって思われるよ(笑)。でも、実際はそうじゃない。ごく簡単に説明するよ。

現在の言語学では、区別というものは単にそこにあるものでなく、言語として解釈されて初めて「区別」として機能するものという見方を前提にする。日本では虹が七色として数えられるけど、ヨーロッパでは六色として数えられるというような例は、「虹」というものをどのような色(言語)に区別するのかが言語圏や文化によって大きく異なるという例になっている。つまり、モノを解釈する作業、言語化の作業が、伝統や文化、あるいは「らしさ」と深く関わっているということ。だから、何を「区別」として用いるのか、という時点で既に恣意的な力が働いているってことになる。モノは常に恣意的に解釈され、世界は解釈を通して初めて理解される。こういうの「言語論的転回」って言うんだ。これを理解するのはちょっと時間がかかると思うけど、ゆっくり考えて欲しい。

これはさっきの脳の話とも関係あるんだけど、すごく大雑把に言えば、例えば「男脳/女脳」が本当にそこに存在していたとしても、時代や文化、場所や人、国やコミュニティなどによってそれをどう解釈するか、何を「特性」や「らしさ」とするかは大きく異なってくる。また脳自体も、物質をどのように解釈するかがその状況などによって大きく変わるよね(物質でさえ個体差があるとも思うけど)。脳に関するこの点を詳しく知りたい人は『心脳問題』をチェックして脳のリテラシーを身につけて欲しい。もしそれほど詳しく知りたくないなら、せめて単純な言説に飛びつかないように注意しよう。

要するにこういうこと。既に行われている「区別」が「差別」になることもあれば、その「区別」が必ずしも根拠あるものでない場合もある。脳の働きが一定だとして、それをどう解釈するかという次元ではやっぱり「区別」が恣意的に働くこともある。だからジェンダー(社会的性差)について吟味するときは、「区別」自体を吟味することから始めたうえで「差別」を問題にする(流派がある)。でも、これは大事だから何度でも繰り返すけど、「区別」を批判・吟味したからといって、区別を全部なくせといっているわけじゃない。ましてやセックス(生物学的性差)をなくせ、なんて。区別をなくせば差別もなくなる、なんて単純なレベルで留まっているわけじゃあないわけ。

また、共同参画やジェンダーフリーは「全ては解釈なんだから、人の手によっていくらでも変えられる」という素朴な立場にたっているわけではない。むしろ「作り上げられたものが絶対的なものとして既にきちんと機能している」ことをテーマにしていると言ったほうがわかりやすいと思う。「伝統は作られたもの」とか、「らしさも解釈のひとつ」として吟味するとしても、「だから無意味」とか「だから簡単に壊せる」ってことでは決してない。まして、脳の基本的な機能まで無視することじゃない。ある区別が差別的に機能する部分を是正しよう、という話。理論的なところではもうちょっとラディカルに踏み込む場合もあるけどね。

ちなみにこの説明、大雑把に要約しているから実はところどころ問題があるんだ。100年以上も続いている学問を数行で説明しているんだから当然なのか、それとも中の人のせいなのか。ま、絶対後者だね。すみましぇん。


Q.ジェンダーがセックスを規定するって、どういう意味?

A.ジェンダーに関連した議論で、よく「ジェンダーがセックスを規定する」というフレーズがでてくるんだけれど、この言葉の理解をめぐってはよく混乱がおきているみたい。でも、これはそんなに難しく考えないで、「生物学的性差をどのように社会が受け止めるかっていうのは文化や時代によって違うよねー」「言語を通して理解され、社会構造に組み込まれていくよねー」というような意味で捉えておくといいと思うよ。間違っても「なんでも人間の思うとおりに決められるのか!」ってことではないので、気をつけてください。詳しくは「誰でも分かる「ジェンダーがセックスを規定する」の意味とその意義」「『セックス/ジェンダー』の解説文」を読むといいよ。


Q.平成17年度の予算請求額を見ると、男女共同参画局に10兆円の予算!? ジェンダーフリーとやらにそんなに金をつぎ込むんでスカ? そんなにいらないYO!

A.騒ぐ前にもう一度ちゃんと読もうYO! 9兆は高齢者支援です。その他も保育の費用などが大半。ちなみに、男女共同参画局の予算はというと5億円いかないくらい。しかも、正確には男女共同参画とジェンダーフリーって別物なわけで、ジェンダーフリー教育に予算が使われているわけじゃないし。そこんとこ、よろしくメカドッグ。

ところで「9兆円! 10兆円! 累積50兆円!」と言う人って、なぜか「国防費の約2倍をジェンダーフリーに!?」という言い回しを好んで使うんだけど、そう主張する人はつまり「高齢者支援&保育費用より国防費を!」と言いたいのかしら。『正論』という雑誌なんかをみても、結構年をとっている人でそういう主張をしている方が多いだけに不思議。自分の首を絞めるだけだと思うんだけどなぁ…。ちなみにこの金額でも、例えば児童手当や出産手当等の公的支出の比率でいえばOECD加盟国29ヶ国中25位で、日本がお金をかけすぎているというわけではないみたいで、何を以て「多い」とするか「少ない」とするかも議論が必要だよね。

※予算のお話について、もっと詳しく知りたい方はこちらへどうぞ。


Q. へ? なぜ男女共同参画が高齢者の問題を扱うの? 意味ワカンネ。

A.まず、男女共同参画予算は、各省庁の施策で男女共同参画に関連する予算をまとめて計算したもの。グラフをみるとあたかも共同参画自体に予算が出されているようにも見えるんだけど、そうじゃない。関連するであろう施策をまとめたのがこの表なんだ。例えばこの高齢者問題に関しては厚生労働省の施策。ちょっと分かりづらいよね。では、なぜ男女共同参画が高齢者の問題を組み込んでいるのかというと、いくつか理由がある。

理由その1。高齢者介護はこれまで「嫁」の仕事、つまり女性の役目とされてきた面がとても大きかった。だからあくまで家の問題、あるいは嫁と高齢者の個人的な問題として、つまりは個別の問題として意識されていた。介護保険は、その負担を社会的な課題、問題にしたという意義があって、これは男女共同参画にも大きく関係してくる。「家庭で介護しろ」という政治家の声もあるみたいだけど、これがなかなか現実的に難しいのは、日本人の平均寿命が格段に延びたことで介護の負担(費用などを含む)がかつてとは比べ物にならない現状がある。費用の問題やその他の負担に関しては、「介護は美徳」などのスローガンだけではどうにもならない。特にその美徳が「嫁」にだけ求められ、福祉を受けにくかったり周囲の理解、協力が得られないという状態は改善する必要がある。

理由その2。男性と比べて女性の平均寿命の方が長いのは皆も知ってると思う。つまり高齢者には女性が多く、女性という視点から高齢者施策を考えていくことも重要になるんだ。「男女」の中には高齢者も当然含まれるし、当然ながら「性」に関する色々な問題も出てくる。「性」といっても単に性欲の問題だけじゃなくて、異性のヘルパーにオムツを替えてもらったりお風呂にいれてもらったりすることの問題とか、本当に色々なレベルがあるわけ。だから現在では男女共同参画関連施策とされているみたい。

大きく分けるとこの2つの理由があるようだね。但し、関連は他の施策と比べて薄いため、男女共同参画予算に高齢者関連予算を含めることには異論もあるみたいだし、さっきのようにグラフに含めると余計な誤解もあるみたいだから、はずしてもいいんじゃないかなとも思う。中の人は、国民にちゃんとしたケアをしてくれるならどこだっていいとも思ってる。実質はあまり変わらないんだから。ただ、共同参画は、少子高齢化や経済構造の変化、ライフコースの変化などが起こっている現状の変化に合わせるという面が強いし、高齢者の「性」の問題を表面化できるという意義もあるから、どっちがいいのか判断が難しいところ。とにかく、大雑把な議論ではなく、かなり繊細な議論が必要だと思う。


Q.でも、地方ではハコモノ事業とかに使われたり、フェミ利権に利用されまくってるって、『男女平等バカ』とかに書いてあったよ。

A.『宝島』って、昔はいい雑誌だったらしいんだけどなぁ。。。例えばその本で千葉県は「狂気のフェミナチ千葉県政」とか名指しされ、「1兆7000億円の予算のうち、6000億円を投じてる」って書かれてたけど、実際は600億なのに一桁水増しされていたりするんだよね。また、その600億だって、千葉県の【男女共同参画関係事業 平成15年度予算額及び決算額,平成16年度予算額】をみればわかるようにそのほとんどは福祉の充実にあてられていることがわかる。この一例をもってしても、よく調べずイメージだけで自治体等の活動全体を「ハコモノ」とか「利権」とかってひとくくりにして叩くのは、あまり意味ないばかりか時には自分の首をしめちゃうような気がする。もちろん「それって効果あるの?」と常に行政を監視していくことは重要だと思うよ。政治家に下駄を預けちゃうと、暴走するかもしれないし。だからこそ、出来る限り意味のある議論になるようにしたい。立場を問わず大声で何かを叩く人ってさ、物事をオーバーに誇張していたりすることが多いから、とりあえずちゃんと調べてからお話しましょう。プロのライターでも間違えるんだから(それともわざと?)、慎重であることにこしたことはないよ。


3.【トンデモ政治編】ジェンダーフリーに対するすっとこどっこいなバッシングやデマ、いわゆる「バックラッシュ」について、ソースと共に考えてみます。

Q.バックラッシュについて教えてくだちい。

A.バックラッシュ(逆流、反動)とは、「ジェンダーフリー」という考え方を批判しつつ、逆に「伝統的」とされる男女の図式を強化、あるいは保守する可能性のある思想・運動に対して(主に推進派側から)用いられる言葉です。バックラッシュのパターンを便宜的に2つに分けると、(1)自分や自分の世代が自明視していた価値観の相対化に不安になっている方々と、(2)政治的意図や宗教的意図などから、故意に「ジェンダーフリー」に対するバッシングをし、歪曲したデマを流している方々がいます。前者の方には、「大丈夫、そういう価値観をあなたがもっていることもOK!」と言えるよう、制度的なケアと説得をしっかり行う必要があります。でも、嫌がる人に押し付けることはアウトです。以下の項目では、主に後者についてにご紹介していきますね。

※政治的意図としてよくあがるのは、政府によるメディア規制と教育介入のための口実探しが、宗教的意図としてよくあがるのは「純潔教育」の導入の目論見があるみたい。

※ただ、ラベリングとしても機能するので、論争などにおいてはあまり使わないほうがいいかもしれない。

※それから、(3)として、フェミ叩き、反フェミを楽しんでいる人たちもいたりする(笑)。


Q.ジェンダーフリーって、ジョン・マネーとかいうインチキな人の理論に基づいているんでしょ?

A.ジョン・マネーって、今のフェミニズムから言ったらむしろ「えーと、誰?」くらいの勢いじゃないですか? 実際のフェミニストの方数人に聞いてみたけど「誰それ?」って言われた(笑)。むしろこの方の名前、バックラッシュ派の方々のほうが良くご存知のようですね。まず「フェミニズム」と一口に言っても、本当に色々な「フェミニズム」があって、マルクス主義への批判や精神分析への批判、リベラリズムへの批判、植民地主義への批判的文脈から生まれた理論、フェミニズム自体に対する批判から生まれたものもあれば、むしろ女性性を強調してエコロジーへの視点を持つもの、文学を読み解く視点から練られたものもあったりと本当に多種多様。ジェンダーフリー云々は、フェミニズムとの関連で言えば特に上に説明したような言語学や構造主義などの研究蓄積が背景にあったりするし、思想的にはフェミニズムが批判することもあるリベラリズムとの親和性が高い。

現在のジェンダーフリーがジョン・マネーに依拠しているというのは学史的に間違い。ましてやジョン・マネーの実験のひとつが間違っている=ジェンダーフリー(時にはフェミニズム全体!)が間違っている、というのはありえましぇん。この「ジョンマネー=ジェンダーフリー起源説(依拠説)」というのは、「新しい歴史教科書を作る会」の八木さんらが主張している完全なデマ。いくら気に食わない相手を貶めるためとはいえ、勝手に「歴史」を捏造するというのは「伝統」を重んじる保守として絶対タブーの行為では? 教科書は色々あってもいいけどさ、こういう形で会長自ら「新しい歴史」を作るのはちょっとどうかと思うよ。

このほか、まれに「マネーがジェンダーという言葉を使った→マネーの別の実験で間違えがあった→そんなマネーが使ってたんだからジェンダー概念もアヤシイ」みたいなことを言う人がいるけど、何重にも間違っているので注意しよう。マネーの「双子の症例」の間違いが発覚するまでには、全世界のさまざまな本やメディアで彼の説が紹介されて、その中にはフェミニストが書いた本もあったんだ(参照)。ただし、ここで重要なのは、(1)後に失敗だとわかった「双子の症例」と「ジェンダー/セックス」の区分はマネーの議論においてさえ別の文脈で行われており、(2)かつ現在「ジェンダー」という言葉が使われる時、それはマネーが行っていた水準での「ジェンダー/セックス」の区分とは大きく異なり、むしろそれを批判するような形の意味で用いられている。詳しくはこちらの議論こちらの本などを参照だ!


Q.『ブレンダと呼ばれた少年』という本読みました。ひどすぎます!

A. アメリカの性科学者だったジョン・マネーが、《ジェンダー・アイデンティティは、生後の育て方や社会的環境によって決定される》という自分の学説を証明するため、割礼手術のミスでペニスをほぼ失ってしまった双子の少年の一人を《女性》として育てました。ところが少年デイビッド(ブレンダと呼ばれた少年)には《男性》としての性自認があり、後にペニスの再建手術を受ける。マネーの《実験》は失敗したが、マネーはそのことを隠しつつ「双子の症例」として利用していたことが、ミルトン・ダイアモンド氏が行った追跡調査によって明らかになりました。その経緯を記したジョン・コラピント『ブレンダと呼ばれた少年』は、出版元がつぶれたために絶版になっていましたが、最近になって「新しい歴史教科書をつくる会」の八木秀次さんの「解説」と共に扶桑社から復刊され、あとがきにはジェンダーフリーや男女共同参画への悪口(論理的批判ではない)が書かれている。そんでもって絶版の理由を「出版界に不当な圧力がかかっている」なんてテキトーなこと書いてるし(汗)。また、『世界日報』をはじめ、同著をもってジェンダーフリーや男女共同参画を批判する人がいらっしゃるようです。時には同著をもってして「ジェンダーは生物学的に決定される」という議論をするケースもあるようです。

この件に関していくつか指摘します。まず第一に、ジョン・マネー=ジェンダーフリー起源説、或いはジョン・マネー=現代のフェミニズム(例えばジェンダー概念)の理論的基盤説は事実に反します(参照)。と言っても、人によっては「隠している!」と主張するかもしれないから(なんでやねん:汗)、第二点目として、「実は」ジョンマネーが原点だったと主張する八木氏の極めてご都合主義的な解説も、引用の仕方が極めてデタラメ、恣意的で参考にならないことを指摘しておく(参照1参照2)。一節が一見似てること(本当は全然意味が違うんだけどね)が「依拠」している根拠なのだ、というMMRもビックリレベルのこじつけとかが見れるし、しかもその説明で「大沢氏、船橋氏がマネーの"学説"に依拠していることは既に見たとおりだが」って、いつの間にか既に論破したことになってる。「船橋氏」が依拠しているとされる例は一応出てきたけど、大沢氏に関しては「依拠している」という論拠が一切出てこなかったので、「ちょ、おま、一体いつ「既に見た」んだよww」って叫んじゃった。バッシングには、このように論証なく「既成事実」にしてしまっているものが本当に多いから注意しなきゃ(こういう例もあるし)。

第三に、八木さんは解説では「ジョン・マネーを利用しているジェンダーフリーを批判する」というスタンスを取っており、八木さんの目的はジョン・マネーを批判すること、そしてデイビッドの人権を擁護することにはない。そもそもご本人が性障害者や「人権」のために戦う気は毛頭なさげなことが、以下に紹介する本その他やこの解説からも伺えます。「解説」は本書にほとんど触れず、ジェンダーフリーと男女共同参画を批判するだけの内容。しかもジェンダーフリーや男女共同参画がマネーに「依拠」しているというすっとこどっこいな前提からして間違っているし。マネーがこの「症例」をご都合主義的に利用したことと同様に、同著や「症例」を利用する八木氏のご都合主義も批判されるべきでしょ。また、第四に、この症例から分かるのはあくまで「ジェンダー・アイデンティティの形成には、ジェンダーだけでなく、セックス(生物学的性差)が基盤として、かなりの影響を与えている」ということであり(参照)、ジェンダー(社会的性差)とジェンダー・アイデンティティ(性自認)を混同して議論をしてはいけません。八木さんの解説は、ところどころごちゃ混ぜにして議論をしてしまっているのもまずい。また、この一例をもって性自認の問題について「セックスの優位」を唱えることは、逆方向ではあるがマネーと同じ類の失敗の道を辿りかねないので注意しませう。

この件に関してはWebで読める経緯や解説では、これまで紹介したサイトの他に「ジョン・マネーの正体、実は「アンチ・ジェンダーフリー」派」「「ブレンダと呼ばれた少年」の政治利用は間違い」というエントリーがとても詳しく、丁寧に説明されています。また、書籍化されたものでは小山エミ「『ブレンダと呼ばれた少年』をめぐるバックラッシュ言説の迷走」が最も詳しく書かれているので、そちらも参考にどうぞ。


Q. でもさ、日本にはそれを信じているフェミニストがいるんでしょ? ほら、マネーを批判した海外の学者が、日本のフェミニストを批判したって記事があるじゃない。

A. 平成17年2月16日、『世界日報』が「政府のジェンダー定義は誤り マネー理論崩したM・ダイアモンド博士」という記事を掲載し、ハワイ大学のダイアモンド教授が日本政府の方針や日本のフェミニスト、上野千鶴子さんのことを批判しているかのように伝えました。こちらのサイト(下の方)で読めます。ところがよく読むと、インタビュアーがあることないこと言って「こんなに日本はひどいですよ。どう思います?」と問いかけ、誘導尋問しているように読める。ハテ、なんだろうこの妙なインタビュー、と違和感があったのですが、ダイアンモンド氏の友人がメールと電話やメールで確認したところ、やはり本人の意図とは全く違う記事になっているとのこと。ちょっと引用させていただきます。

先月になって山本記者よりダイアモンド氏にあてて、世界日報社が今度出す単行本にインタビューを転載して良いかどうか問い合わせていて、それに対してダイアモンド氏は「あのインタビューはわたしの主張が捩じ曲げられているので使用しないで欲しい」とはっきりと断っています。そのかわり、もう一度別のインタビューに応じるとしたうえで、今度は前回のような誤解が起きないようにメールを通して筆談でインタビューを受ける、と申し出たところ、山本氏からの連絡は途絶えたようです。また、山本氏はメールで「朝日新聞と東京新聞に載ったコメントで(『世界日報』の内容と全然違うと分かり)読者が混乱している」と泣きついているんですが、ダイアモンド氏は「わたしは常に同じ事を言っているだけで、あなたにも同じ話をしたはずだ、わたしはジェンダーフリーを支持している」※と明確に答えている。

『ブレンダ〜』を利用した八木秀次さんといい『世界日報』といい、学者やジャーナリズムの倫理はどうなってるさコレ。

※「ジェンダーフリー」は和製英語ですが、ダイアモンド氏はその意味を正確に理解して用いているようです。「Basically I do support gender-free ideas.」上リンク参照。


Q.つまり、『世界日報』が記事を歪曲したってこと? (2005.11.28追加)

A.まずは「ミルトン・ダイアモンド教授が「ジェンダーフリー支持」を明言」「世界日報・山本彰記者によるインチキ取材の手法を暴く」とというエントリーを読んで下さい。『世界日報』の山本彰記者と、インタビューを受けたミルトン・ダイアモンド教授のメールのやりとりを紹介しています。このやりとりはすごいです。特に2つ目のエントリーは、ジェンダーフリーバッシングのソースとして用いられることが本当に多い『世界日報』の取材方針などを考える上で重要なソース。これは到底フェアであるとは思えないよ。これまで説明した通り、日本のフェミニストやジェンダーフリーがジョン・マネーを重要な論拠にしているっていう前提自体すんごいトンデモなデマなんだけど、そんなトンデモ説に信憑性を持たせようとインタビュー相手を騙し、その言質を使って読者を騙し、社会を騙してるわけでしょ。これはさすがに…。


Q.というか、反ジェンダーフリー系のサイトを見ると、必ずと言っていいほど『世界日報』が引用されているんですが。これってどういう新聞?

A.えーと、あの、うん。あまり触れない方向で。とりあえず、グーグルで「世界日報とは」と調べるといいと思う。あとは「Wikipedia:世界日報」とか詳しいかな。でも、そこに重点を置くより、「どういう社会が望ましいか」「どうすれば可能か」「その見方は根拠があるか」の話をしましょう。そのことを確認するため、デマをデマであるということを明らかにしたかったので、あえて一度だけ《誰が・どこで・どんな理由でバッシングをしているか》という点に触れました。○○(団体名)《だから》だめだ、というようなことを言うつもりはありませんし、宗教を持っている方もリスペクトしたいと思ってる。思想信条は自由、表現も自由。ただ、それを人に押し付けたり、その背後にデマがあったりするのはアウトだと思います。

※もちろん、バッシングしている人が全員信者だというのは実態と大きく異なります。ある側面では利害が一致することや、メディアとして利用しやすいソースが集中していることも理由に挙げられます。


Q.有名なフェミニストが「ジェンダーそのものの解消」って言ってるよ? 過激だ!

A. 『ラディカルに語れば・・・』という本での大澤真理発言のことかな。じゃあ、まずそのウワサの本を読んで、それでも分からない場合はこのページの こちらを読んで、それでも分からない場合はこちらを読むといいと思うよ〜。


Q. ジェンダーフリーって、オリンピックで男と女を競争させるの?

A. …という質問をしないために、ここでおさらい。その1。ジェンダーレスとジェンダーフリーは違います。その2。形式的平等ではなく、実質的平等を求めます。以上!  えーと、足りない? よく「フェミニストは女を男並みにする思想だ」とか「男女の性差をなくしてひとつの性にするつもりだ」って非難があるけど、現在のフェミニズムは差異の否定ではなく差異の承認に向けて議論を展開している。男も色々、女も色々だから、特定の「らしさ」だけに固定されない選択を、というように。もちろん形式的に男女同数・男女で勝負させたりすることとは違う。むしろ今は、形式的には「男女対等に勝負していることになっている」という問題があるから、実質的に改善していこうよ、ってことなんだけど、なぜ逆の発想になるんだろう。

あと、例えばね、アファーマティブアクションが誤解されるのは、短期的な是正政策だということがあまりに知られていないこともある。なんでもかんでも男女同数にするってことじゃなくて、実質的平等を実現させるための一手段だってことを繰り返しておく。だから、端的にそうなんだ、という認識の上でその是非などを議論しよう。


Q.ホワッツ? ええと、じゃあ、そのデマって、どこから出てきたのさ?

A.主にこのご両人の居酒屋談義などからですね。ご両人にとっては、矢沢あい『NANA』もSMAPもオカマの存在もまずいらしいですね。新しそうなものがとにかくお嫌いなようで。あと、憲法24条(男女の本質的平等)もなくしたいらしいですよ。ご自分のノスタルジーのために、ずいぶん勝手じゃないかー。


Q.自民党に約3500件の「行き過ぎたジェンダーフリー教育」の意見が届いたって? ヒドイ!

例えばこちらですね。これ、ジェンダーフリーとまったく関係のない例や性教育の話、あるいは性教育とすら関係のない事例やむしろジェンダーフリーやフェミニズムの理念に基づいて改善要求されているものばかりでしょう。文脈不明のものもあるし、思い出話レベルのものもある。しかも、こういう場合に公開するのって、大抵「これはひどい」と思わせられるよう宣伝効果の高い「特にひどい例」を出すよね。それでもこの程度の誤解だらけなんだから、残りのものも怪しいもんです。警察だって、ただ通報があったというだけでは逮捕せず証拠を調べるでしょう。本当に実態があるなら、「3500件もあつまったんだぜ」で威張らないで、ちゃーんと調べておくんなさい。まさか「〈実例〉をご紹介いたします」で終わるつもりじゃないでしょう。そういえば自民党って、URLの「gender」のスペルを「jender」にしちゃうくらいにこの問題に無関心&無知なんだから、実態もへったくれもないでしょう(参照)。

また、この点に関してはいくつもの批判があります。このアンケートの質問項目自体が非常に誘導的なものだという批判。アンケートおよび議員に配られた呼びかけの文書の現物を見ればわかるけど、質問項目や選択項目が非常に誘導的だし、用紙と一緒に「つくる会」の本や「つくる会」会長のシンポジウムの案内などが同封されていたことが分かるでしょ(参照)。「つくる会」自体に特に思うことはないけど、あらかじめバッシング本を配布した上で呼びかけるのは明らかにバイアスがかかってると言わざるを得ないよ。また、そのようにして集められた「3500件」の中にでも、「同性愛をフォローしてくれる発言が現場にあってくれたほうが良い」や「ジェンダーを批判するのは的はずれでは?」あるいは「そのような例はなかった」「むしろ必要」というような、アンケートに批判的なコメントや、あるいはアンケートにそもそも全く関係ないようなコメント(言いたいことだけ書いたようなもの、あるいは無効票のようなもの)も多数存在するにも関わらず、すべて一緒くたに「3500件の実例」などと紹介しちゃってる(参照)。「3500件の回答」と「3500件の実例」じゃあ意味が違うでしょう。そうやって誇張しながら「教育改革ができるのは自民党です」と煽るマッチポンプ。しかも選挙期間中だけこの「実態調査」のページのバナーをトップからはずしていたんだけど、正しいことをしているなら、どうしてはずすんでしょうか? 選挙の争点にされたら、何かやましいことでも? そもそも性教育とジェンダーフリーを混同している点からしておかしいし、政党が「疑わしきは罰せよ」というアクションへとつながっていること自体大きな問題です。

※補足。この件については、以下のエントリーでじっくり検証しました。

また、書籍化されたものでは荻上チキ「政権与党のバックラッシュ」なども参考になると思います。


Q.な、なんだってー!? じゃ、誰が、なんのためにこんなデマ流してんの?

A.調べたところ、上の「つくる会」会長&名誉会長コンビの居酒屋談義に加え、宗教的な関係も無視できず、また、支持する方には別の本音があるかもしれません。あとは、議員によっては自らの政策実現のため、あえて性教育の問題と混同することで「性」の問題への不安をより煽ってから教育やメディア規制に介入する口実探しになっているという見方もある。

そういえば「進化論偏向は道徳教育にマイナス」でも話題になった中川八洋さんの本『これがジェンダー・フリーの正体だ』にもあることないこと書かれてますけど、ご本人は実際に学校などには取材しておらず、「さまざまな資料から引用しつつ書いた」「高橋史郎教授に確認した」と答えてるんですよね。中川さんにアドバイスしたという「新しい歴史教科書をつくる会」の元副会長である高橋さんもこれまた取材しておらず、「ビデオを見て、知っている」と答えたとのこと。 しかもそのビデオにも、そんな極端事例なかったということが南日本新聞の記事に掲載されたました。責任のたらい回しの結果がコレですよ。ま・じ・で・か!


Q.ワロス! じゃ、他にもヘンテコなバッシングある?

A.笑い事じゃないけれど、たくさんあるよ。鹿児島県議会は、2003年7月8日に「ジェンダーフリー教育」をしないよう求める陳情を、自民党などの賛成多数で採択しました。で、陳述の内容に事実誤認があったことについて、鹿児島県議会事務局は「陳情の主要な部分に事実誤認があった場合でも採択を取り消す規定はない」とお答えになったそうな。んなアホな。他には、次のようなものがあったかな。

また、面白い意見だけじゃなくて、怪文書が出回ったりと、サンプルは尽きることがありましぇん。


Q.え、ええと、これらの事例って、『ムー』という雑誌に載ってるんですか? それとも『MMR』ですか?

A.いえ、違います。戦わなきゃ現実と! 『ムー』はロマンがあって好きだし、『MMR』も笑えて面白いけど、こっちは単にダーティーで笑えんわい。


Q.やっぱ、誤解が広まっているから、「ジェンダー」とか「ジェンダーフリー」とかって使わないほうがいいんじゃない?

A.「マッチポンプ」ってご存知ですか? 自分で火を起こして自分で消す役を買って出ることで不当な利益を得ることですね。自分で誤解を振りまいて、「ほーら、こんなに誤解があるんだからやめときな」って言われてもね。自作自演はやめましょう。ジェンダーだけに、じえんだー。お後がよろしいようで。でも、より分かりやすい言葉を考えることは大事だと思う。ジェンダーフリーって「この記事」に書かれているような経緯で生まれた言葉があるし、ぶっちゃけ、あまり知られてないしね。余談だけど、これだけ起源がはっきりしている言葉って珍しいね。


Qでもさ、「ジェンダーフリー」じゃなくて、「男女平等」ではだめなの?

A.うん、全然いいんじゃないでしょうか。性差平等、とかね。ただ、ゲイやレズビアンやトランスセクシャルやクィアやハードゲイな方々を忘れてもらってはこまるフォーーーーー! (こらこら)  基本は、やっぱ名より実をとることが大事だと思う。形式より実質ね。ただ、この手の問題は、言葉をいれる/なくすってことが象徴的な理念の争いにもつながっているみたいだから、名を変えたら実もなくなっちゃった! みたいなのは注意だよね。特に法律の問題って、名(文面)が重要な面が大きいもの。

※「ジェンダー」「ジェンダーフリー」が必要ではないかという意見をいただいたので補足。

意見その1。単なる「男女平等」では、形式的に平等の取り扱いならそれでいいでしょ、ということになりかねない(上で触れた、形式的平等と実質的平等の話を思い出して欲しい)。日本国憲法に「両性の本質的平等」が明記されて60年近く経つけど、いまだに世論調査などに職場や社会での不公平感が強く反映されるのは、人々の間に男と女は社会における役割が違うという意識がどうしても強いから。「ジェンダー」(社会的性差)は、何が生物学的性差で、何がそうでないものかを真剣に考えることのできる言葉。「ジェンダー」というキーワードを使えば、職場、地域社会、家庭などで「男だから」「女だから」という社会的な性別分業を見直すことが出来るし、制度的なケアも可能になってくる。自民党など、一部で「ジェンダーを使うな」という声があるみたいだけど、いままで行政や企業、研究の場で使ってきたこの言葉を使わなくするのは、現状への対応を遅らせることにもなりかねないし、不当な差別を温存することにもなるんじゃないか、というご意見。

意見その2。「ジェンダー」や「ジェンダーフリー」という言葉は、既に学者や政治家の方だけの「専門用語」ではないし、「男女平等」だと、同性愛者の自分としては後退、あるいは排除された感がある、というご意見。これは結構納得。場所によるけど、ゲイコミュニティなどで根強く支持されている事実もあるみたいだし、「男女平等」では含まれなかった人との関係性や制度について考えることができるからね。


Q.でも、さすがにこれらデマ信じる人、国政レベルではいませんよね?

A.いやぁ、いるんですよそれが(汗)。例えば、先ほど紹介したアンケートを引き合いにだすまでもなく、普通にアクセスできるソースでもこの記事とかのように、色々なソースからうかがい知ることが出来る。国政だけじゃなく、地方議員でもかなり多いですよ。自分の地域の政治家のHPなどをちょっと調べてみてはいかがでしょう。信じているというか、わざとっぽい人もいるなぁ。国政でも地方でも、どうやらクリスチャンが結構多いみたいだし。


Q.自民党が「ジェンダー」「女性学」「無償労働(シャドウ・ワーク)」を使うなって、どういうこと?

A. 自民党の「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」(安倍晋三座長)がまとめた文章などに、「ジェンダー論は性差を否定し、結婚、家族をマイナスイメージでとらえ、文化破壊を含む概念」「言い換え、削除するべきだ」という意見がありましてん。詳しくは、このエントリーで紹介しています。「ジェンダー」って、フェミニズムだけでなく社会学や文学、経済学、法学その他さまざまなジャンルで使われるちゃんとした国際的で学問的な用語だし、女性学だって、学会もあるし厚い学問的蓄積がある。シャドウという概念だって、経済について分析するうえでは欠かせない学問的なタームでしょ。これらの用語を使うなと言うことの方が「文化破壊」だし、例えば「道徳」のためにこれらを使うなってのは、まるで「進化論は道徳に反するから教えるな」って言ってるのと同じでかなり問題アリだと思います。ま、名前だけなら少し変えるのはいいと思うけれど、それで内実をなかったことにまでしちゃうというのはアウト。

それとさ。アファーマティブアクションに対する批判や、共同参画への批判で「働く女性を優遇してない?」というのがあると思う。共同参画は、段階的にバイアスを減らしていく試みだからそういう訴えは必要で、実際そのような意見の方向へと進もうとしている。ただ、自民党の人は、例えば「父親が休業してまで育児する必然性はない」って参画方針を批判しているし、この先どうなるんだろう。


Q. なるほど。で、このサイトは保守論者や自民党の悪口をいうページですか?

A. ごっ、ごめんよぅ(汗)。グーグルで検索すると、世界日報系や作る会系のまとめサイトしかなくて、「ジェンダーフリーは狂人の思想!」「ジェンフリになると不幸になる!」とかそんなんばっか。デマではなく学術的、理性的な検証をしっかりしたサイトがまったくなかったので、そのデマを消火しちゃんと吟味できるようにしたかったんだ。中の人は「ジェンフリ」について言及しているサイトや発言を数千近く見てきたけど、なんか「ジェンフリって左翼らしいよ? 性差なくすらしいよ」「げ! まじ? フェミニズムきんもーっ☆」でしゅーりょー! みたいな議論があちこちで見られる。日常会話とかだとそれはそれでいいんだけど、政治家がデマとかをベタに信じて、そのレベルで国の方針を決める議論するのはどうかと思うし、その手の議論が「で、どういう社会にしよっか」という話しぬきに、つまりは「当事者」不在のままに進むことはもったいないと思うんだ。そのため、まずデマはまずいからソースを出して論証しつつ、デマを流す人は批判した。

でも、かといってフェミニズム系、「左派」系に極端に偏ってしまうのも意図するところと違うし、個人的にはそちら側に批判もたくさんある。私自身、ジェンダーフリーを推進してきたわけでも、支持しているわけでもなければ、反対に保守的言説を封じるつもりはないし傾聴すべき批判意見もたくさんあると思う。ただ、デマをデマというため、なんか片方を擁護/批判するようになっちゃった面は否めないけど、「無害だ」「ジェンフリ論者になりませう」って主張するつもりはなくて、問題点を含めてどうすればベストかって議論が一番望ましいし、そういう状況を作りたい。だから、ソースを集めるため、web上の議論などを数千以上は見たうえで作ったんだ。

もしまとめ方がアレだと思ったら距離を取って読んでほしい。中の人が「学術的、理性的な検討をしっかりしている」という証拠もないし、保守でも左翼運動家でもフェミニストでもないため内部事情を見落とすというデメリットもあると思う(それぞれの文脈をかなり調べましたが)。「デマやまとめサイトから距離を取った上で、冷静に議論しよう」というのがこのページの趣旨で、「距離を取ろう」という対象にこのサイトにだって含まれるから。

それでもなお、このサイトが、ジェンダーフリーや男女共同参画について語るためのリテラシーを身につける助けになれば幸いです。


Q. あいよ。んじゃ、デマじゃないレベルの議論を国政に反映させるには?

A. 月並みだけど、パブリックコメント募集のときとかに、一人ひとりが要望をだすしかないんじゃないかな。例えば、前回の雇用機会均等法に対する意見募集では数百件しか集まらなかったみたい。じゃあ数百人しか雇用機会を是正して欲しいと思っていないかといえば、そうじゃないでしょう。例えば「小泉内閣メールマガジン 第202」とか読むと、「少子化」の問題について1万6000件以上のコメントが集まったらしいけど、それを読むと「保育サービスの充実」「経済的支援の充実」「働き方の見直し」「男女共同参画の推進」「子どもの育つ生活環境づくり」「母子保健、不妊治療への助成」「(親となるべき)若者の自立支援」などが並んでいる。ありゃ、これってテーマこそ「少子化問題」だけど、求めているものって共同参画やいわゆるジェンダーフリーがやろうとしていることに近いじゃんって思った。興味のある人は詳細の書かれたページを読んで欲しい。

ぶっちゃけ、これらをひとつひとつ調べる前は、自民党って安倍さんとか山谷えり子さんとかがジェンダーフリーや共同参画に反対しているから、ジェンダーフリーへのバッシングってやっぱその支持層を反映しているのかな、と思ったんだけど、なんかそうでもないみたい。まあ、小泉さんが都市型層に支持されているということがあって、メルマガの性質の問題かもしれないけど。でも、それだけじゃなかったとしたら、共同参画に反対の人の中には、内容というよりフェミニスト的な語り、サヨク的な語り方(ほら、あの学級委員みたいな)などへの反感が強いのかもしれない。もちろんそれだけで判断するのはちょっとなと思うし、もしかしたら中身を見ると誤解が解けるのかもしれない。そもそも、既に説明したけど「男女共同参画=ジェンダーフリー=フェミニスト」自体が誤解なわけだし。

じゃ、もしそういう支持層があったとして、なんで支持層とはかけ離れたことを言っちゃう政治家がいるのか。例えば、一生懸命バッシングしている人のブログをみると、すごく細かな事例や怪しいソースをいくつも並べ、量とインパクトで圧倒して不安を煽った後、「共同参画反対のファックスを送りましょう!」とか募集したりしてテンプレを共有したりしている。同様に女性アクティビストが対抗して声をあげることもある。逆も然り。これ、アヤシー陰謀論じゃなくって、この調査のためにしばらくフェミ系や保守系のメーリングリストに入って確認したから間違いない(こっそり資料も出せるよ)。もちろんそれだって政治的アクションだから、どちらかがやってもそれ自体が問題とはなかなか言えない。

そうすると、場合によっては世論からかけ離れた極端同士のつばぜり合い、動員合戦になったりする。で、議員さんは必ずしもリテラシーに長けているわけじゃないから、「ネットで数千件のメールが!」「数千のファックスが!」「ネットでこれだけのレスが!」というのをそのまま世論だと思うこともある。まあ意図的に利用している人もいるし、中にはここでは言えない結構きわどいことしている人もいて、ひどいなぁって思う。

ただ、やっぱり差別の是正や環境の改善って、多くの人が求めていると思うんだ。だから、パグリックコメントとか募集してたら、積極的に送るといいと思う。このHPでもたまに紹介してます。それと、もしよかったらこのページにリンクを張ってくれませんか? 出来るだけ多くの人に議論の骨子を知ってほしいし、中には「ゲーム脳」レベルのデマもあるように思うので、誤解を解いて、批判であれ肯定であれまっとうな批判や提案が互いに出来る状態にしたい。

ここまで、読みやすくするために冗談めかした文体を利用したけど、このページはご都合主義で一方的に擁護・批判する目的じゃないし、問題があればこれからちゃんと訂正していきます(もちろん、完全中立なんてウソをつく気もないです)。一部不快な表現があったら、あらかじめ謝っておきます。意見をいただいたら反映させます(炎上目的の書き込みは勘弁ですし、当然ながらいつもネットにいるわけじゃなく、即レスすると逆に荒れることもあるから、丁寧に吟味したい。普段はコメントを削除しないけど、質を保つため今回だけは削除する場合もあるけど、あらかじめご了承ください)。

長文を読んでいただき、ありがとうございました。でも、議論はこれからこれから。全員が当事者だってことを忘れず、どんな社会を人と一緒に生きたいのかを考えながら議論していきませう。



適宜更新中。補足や更新報告、関連資料、呼びかけなどは成城トランスカレッジ! ―人文系NEWS & COLUMN― の該当エントリにて。
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